わが家にも結婚当時にある年長の方からお祝いとして頂いた、素晴らしく繊細なワイングラスのセットがあるか、お返しの品を選ぶ関係で価格を調べた際にそのあまりの高価さに仰天し、これはとても使いきれないと観念してガラス棚の中にしまいこんで、普段はキッチンハウスで買った、プレーンでそれなりに好ましいグラスを使ってきた。もっとも、ある品物を高価で使いきれないと思う境界線はかなり主観的なもので、その人の美意識や財力や家庭の状況によって動く。
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さきほどのワイングラスを使えなかったのも、多分にぼくたち夫婦の結婚当時の仮住まいや、その後間もなく幼い子供がチョロチョロしだした事情による。こういうものは本来、使って楽しむのが贈り主の気持を生かすことになるのはわかっているので、子供も成長して食卓の周囲もやや落ち着いてきたこの頃では、そろそろ時にはこのダラスにワインを満たしてやらねば、と思いはじめている。このように人それぞれの価値観に従い、主観的に高価すぎるものは避けるにしても、壊れた時にまったく惜しくないようなものを使うのも味気ない。日常の食器が生活を楽しく彩るには。“好きなもの”を使わなくてはならない。ところが。“好きなもの”というのは価格の高低にかかわらず、壊れれば惜しい。しかし、ある程度惜しい思いをするくらのものでなくては使う価値がないわけだ。