きものに強くなるきものに対する憧れは、日本女性ならだれにもあるはずです。きものは洋服とちがって、はっきりとした格づけがあり、知っておかないと、さて何をどう着ていいのやら迷ってしまいます。まずきものには礼装用のきものが厳然とあり、これは冠婚葬祭はもとより、着る場と目的とがはっきりしています。きものの格づけは色、形、染めによるものであり、値段ではありません。たとえ、紬などの織りのきものがどんなに高価でも礼装にはならないように、女性の礼装は未婚の場合は振袖、既婚の場合は留袖と決まっています。私は外国できものを着る機会も多く、そのときは少々この格づけを無視して、私なりに考えたコーディネートで略式の着付けをしますが(日本では、できるだけ日本のしきたりに従っています)、これはみなさんにほめられました。ただ、外国ではイブニング・ドレスだけがロング・ドレスなのに、日本のきものの丈はすべて同じフル・レングスなので昼間からロング・ドレスを着ているといって不審がられるのです。私は、あらゆる人がきものは何と美しくエレガントなのだろうとほめてくれる傍ら、機能的かしらといったりする外国人の素朴な感想を大切にして、イブニング・ドレスとしてだけに着用していました。日本では、夜はあまり着ない大島紬を、イブニング・ドレスの代わりに着て、金銀の袋帯をしめたら、だれも何ともいわず、かえって黒のイブニング・ドレスの中で調和したのです。
現在、日本に参入しているアジアのSPAのなかでジョルダーノに続いて有名なのが香港の御三家といわれる「エスプリ」。同社はシームと同じ一九九四年ごろに日本へ上陸したSPAである。もともとは卸であって、同社が小売に進出しだのは一九八四年といわれる。小売への進出のきっかけは、流通の合理化を追求するところに始まる。商品政策の特徴は、各国の実情に即したマーチャンダイジングをキメ細く行なっていくということである。本来、国際的なブランドは各国の共通項を提案していくというマーケティング手法であるが、同社はちょっと違う。コンセプトや商品イメージはあくまでも共通性をもたせるが、市場の気候風土や文化に合わせたデザイン、素材、色使い、商品構成である。
ウィンブルドンのテニストーナメントである。センタ・コートに観客が集まり、決勝戦が行われていると仮定しよう。ロイヤルボックスと貴賓席で観戦している人以外は、プレイヤー、審判も含めすべてカジュアルなウェアである。ロイヤルボックスや貴賓席の上流階級の人たちは、寒かろう、暑かろう、必ずクラシックなスーツスタイルである。それが伝統だからだ。サッカーや野球にはない光景である。上半身裸で応援している観客もいる。服が多様化している現代においても、クラシックスタイルに対しては、カジュアルスタイルしか存在しないことを象徴するシーンだ。おおざっぱにいうならば、世界の各地に残る伝統衣装や祭り装束、さらに制服は、特別のときに身につけるといった意味でクラシックスタイルに属するが、広い意味で、そのほかは、すべてカジュアルウェアなのである。ウィンブルドンを例に挙げた理由は、服が錯綜して、興味深い現象を引き起こしているからだ。1930〜40年代のウィンブルドンの観客たちは、写真で見る限り大半がスーツスタイルである。これは当時の大リーグの観客たちも同様だ。ベーブールースの記録映画か何かで、打者が打ったボールを追いかけ、観客のソフト帽がいっせいに同じ方向に向いたシーンを記憶している。当時はスーツスタイルにソフトを被っていた。(詳しくは後述するが)第二次大戦後までは、現代のようなカジュアルらしいカジュアルが、世の中に存在しなかったためだ。探検家も飛行家も工場労働者ですら、残された写真ではネクタイ姿が多い。その名残は、現代のウィンブルドンでは、わずかにロイヤルボックスや貴賓席に見られるだけで、何万人の観客たちは、わずか半世紀あまりでいっせいに衣替えをして、カジュアルスタイルに。それが洋服の伝統の国、英国の光景であれば、世界がいかにカジュアル化に向かって突き進んでいるか理解できるだろう。